あの素晴らしいキョウカをもう一度

  • 2011/09/06(火) 23:14:58

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復興の まちに言霊す かんなおと

       明日は誰 のだ総理大臣


あー、取り敢えず社労士はやり過ごした。ということで、ここ4回目ということは4年目ということだけれども、なんかの祭りみたいな高揚感の後は、例によってカタルシスを落とした後のカタルシスを紛らわす愉悦、一人一機飲み大会、は、今年はやめて、−−−というかもっと酷い。思いっきり飲みすぎて、ホテルでゲロ吐くなよ、オッサン状態で  いやーー、ということで、今更ながらですが、これでいい、のだ総理大臣。


_| ̄|○ ゲー _| ̄|○_ 




しゅしょう! しゅしょう! しゅしょう?

  • 2011/07/20(水) 17:24:57

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まぁ、今更ながら、なでしこジャパンの快挙はあっぱれである。サイコは、震災の影響による電力受給の分散対策で、日曜夜勤であったので直接見ることができなかったのであるが、ニュースでハイライトを見たのだけれども、沢主将のあのテクニカルに角度のある速攻シュートといい、PKでの福元の絶妙な足でのカットを見て、体格からいけば大人と中学生との戦いみたいな中で、本当によくやった! と感慨無量であった。まさに不幸中の幸いである。彼女等の頑張りを励みにサイコも日曜夜勤を嘆かないことにした。まぁ、だけど、なでしこJapan、優勝!!すごいです。と思わずつぶやいてしまったから、いらん中傷を受ける蓮舫議員。まぁ、菅首相も私も諦めないで頑張らなければなんて言うから、殊勝でないと思われても仕方ない。まぁ、それでも総理就任当時はこのブログでも菅さんにエールを送っていたのであるが、流石にここまでくると、国民の審判なのか第三者の審級なのか知らないが、自民党の小池百合子総務会長が言ってるように、レッドカード出てるのに、まだ退場する気配が無い。そういえば、3年ほど前にあっそう、とかいうKYな総理もいたけれど、自民党の最後が日本民主政治そのものの終わりだったのか、と気づき始めてきた。政権交代して早、2年が経っているのに、民主党という政党は組織として機能してないのではないか。というか党としての結束力がないのではないか。ワンマンでも国を引っ張っていく推進力があればまだしも、内部分裂的に方向性の定まらない現状だから、この停滞感を払拭して欲しいと誰もが思ってしまうのだろうね。


社会的な身体  荻上チキ

実は読了して一月くらい経ってしまったので、内容的にうっすら抜けていたり、別の本のことだったりするかもしれないが、騙る意味で先回の内容に絡めてみたい。まぁ、社会的身体というのは、こうしたブログ作成をも含めて、パソコンが人の脳の延長と思われたり、車を実際足としてどこかに赴いたり、人の身体の延長としての道具(ここまでならハイデッカー、そうでっかー)が、それこそ精密化してマシーンとして社会のインフラとなるときに、システム的に社会的な様態をとりはじめること、だったと思う。まぁ、この本、この著者はメディア論の論者で、メディアとしてのインターネットが身体的であり社会的であるのは、一番わかりやすい例でいけばアバターという具象化された私が、バーチャルな世界で他者とコミュニケートするということである。ここで、例の北田暁大准教授の本から抜粋したりしているのは、北田准教授もメディア史なんかが専門なのであるが、まぁ、以前書いたこちらのブログを参照して欲しい。ということで、突然、忘れていたわけではないが、小熊英二1968(下)を総括してみよう。まぁ、あんな分厚い本の割には、下はそれほど騙りたくないほどに、何か人の暗部を覗き込んだ感じである。しかし、稚拙で、それこそアナキストのごときトラジコミックなのだ。と、いっても笑えない。と、こんなに簡単にやっつけておいて、メディアとしての「お笑い」の変遷と機能についても「社会的な身体」では語っている。これは、テレビというメディアが斜陽業種と化したかのようなことが言われているこのごろ、その地位をネットが奪い取ったかの誤謬に対しても言及する。未だに、テレビはメディアとしての王様であり、映像のインパクトは、ネット上の動画が簡単にその座に取って代わるものではない。荻上も、ネットはテレビメディアを補完、補強するものだとしている。実際、2ちゃんでネタにされるのは、テレビで放映された実に高度なニュースから、どうでもいい「お笑い」のすべりだったりすることが多いからであるのと、そうした(こうした?)まさに核心をつく批判自体が、さらにテレビメディアを逆の意味で補強することを言っている。まぁ、上述の蓮舫はツィッターというメディアで呟いたがために炎上したのであるが、それこそネタにされて知名度(いいとか悪いとかではなくて)を上げたわけである。そういう効果としてのネットがテレビを冗長するということなのである。さて、「お笑い」に戻るとして、まさに、一発屋芸人が笑いを取るために、笑えないほどに苦心をしていることは、まさに(クドー)、メディアへの露出なのである。そこに大メディアであるはずのテレビは、インタラクティブ的な効果としての芸に対する評価や批評を差し挟んできているのである。まぁ、多くは騙らないけれども、番組構成を見れば、ただ単に経済的に素人っぽいギャラの安い芸人だけを配置しているわけではないということなのである。



グゥーーーー


そういえば・・・・・エドはるみの露出も減った、というか見ない


まちまち

  • 2011/06/12(日) 09:05:39

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うーん、なんとも歯切れの悪いタブロイドの記事だ。一見すると普通にタブロイド的な視点からの毎度の首相叩きなのだが、ほんとうに「不信任案再提出」なるものを国会議員が画策するものだろうか。流石に、それを見越して、途中に「国会には、同一会期中に同じ議案を2回は扱わない「一事不再議」の慣例があり」としているのだが、慣例ではなく、会議の効率運営を図るための原則である。ウィキの一事不再議の説明で十分分かるはずで、はたして「不信任案再提出」を画策している議員がいるとすれば、そっちの方が議会を妨げようとしている悪玉の本命だろう。どうも民主制の根本ルールまでも否定して、公正でないほうに与するのはメディアとしては如何なものか。よっぽど、菅首相を降ろしたいのだろうが、もっと書くことがあるんじゃないか。まぁ、大メディアではないから、ポピュリズム的、サラリーマン的な擦り寄りはいた仕方ないのかもしれないけれども、まぁ、タブロイドも崖っぷちなんだろう。ここにも震災の影響があるのかもしれない。まぁ、それはそれとして、じゃあ、菅さんを降ろしたとして、誰に首相をやらせれば復興のテンポが上がるのだろう。そこをシミュレートして書いてしまうのは、タブロイドなら許されるんじゃないか。まぁ、似たり寄ったりの菅降ろしを毎日書いていれば楽なんだろうし、それなりに読者をひっばっておけるのだろうが、そんな減り続ける読者をいつまで繋ぎとめておけることか。菅が先か、タブロイドが先か。まぁ、菅が先に降りるだろうけどね。


現代宗教意識論  大澤真幸

まず、冒頭「すべての偉大な社会学者は、いずれも宗教社会学者でもあった」(「現代宗教意識論」序P7)。社会は宗教現象でしかない、としていろいろと例示を踏まえて論考していく。この「宗教」というのは、バリバリのキリスト教であったりイスラム教といった一神教をのみ意味するのではなく、アジア的なものに合致する意味で仏教やヒンズー教なのどの多神教的なものも含み、また、そうした世界宗教のみならず、信仰は薄くとも、というか仏教国だろう日本で年末にクリスマスパーティーが盛んに行われたりするような、形式のみが模倣されている現象も「宗教」として含んで考えるのである。もっと言えば、無神論者は、神を信じない、という宗教者なのである。だから、無宗教者という概念があるとして、宗教を持たない、という宗教を信じている者と言っていいだろう。しかしながら、宗教の中でも、キリスト教は異質なものであるとして、その中に予め世俗化の形式が用意されており、近代がそうした脱宗教へと進む過程が資本主義的なものと相まって、進行した。にも係わらず、現代においても、局地的な事情に限らず、宗教に根を持つ現象、たとえ形骸化された儀式や祭りであったとしても、他者の総体としての市民なり国民なりの共通行為として行われる宗教的行為は無くなっているわけではない。逆に、クリスマスの例でわかるように、宗教が完全に世俗化して形式化しているのが、日本的なクリスマスでもあり、それをも宗教行為とするのである。そして、それなりの洗練化も進んでいるわけである。さて、特異なキリスト教の例示だけではない。その成立過程も含めて歴史的遡及から古代、中世において超越的第三者による審級が成立しただけではない。そうした、宗教に根ざした社会でのみ、第三者による審級が機能するのではない。超越的第三者は、たまたま宗教が浸透する普遍的な社会においては神であり、神々であり、仏様であるわけだが、部分社会においても、例えばあるアーティストのファンクラブであれば、対象のアーティストが超越的第三者となりえるわけである。また、脱宗教化が進行しているはずの現代においてなお、メディアで占いをやらない日はないし、ヨガとかホットスポットなどが流行っていたりするのも含めて宗教現象であり、神(々、仏)に変わって、そうした中に第三者の審級がたち現れているのである。まぁ、共に何となく「われわれ」よりも上に存在する何かを仮構することで、それによって共同体の統率、統括を機能させるということなのだが、宗教だから分かりやすい、ということで何か安易な設定のようにも思ってしまうのだが。取り敢えず、上記を前提とした上で、オタクについての補論をして、いよいよ1980年代から2000年代に起きた猟奇殺人(オウム、宮崎勤事件、サカキバラ事件、アキバ事件)を分析している。もちろん、第三者の審級ありき、でである。大澤の理論構築はそういう意味でもかなり緻密なので、批判というのはかなり難しいように思うのだが、アキバ事件について、セカイ系からの視点はKの裁判記録まで読んでいて説得力はそれなりにあるのだが、ちょっと安直な感じがする。詳述するかわりに以前書いたこちらを参照して欲しい。


まぁ、なぜか最近読んだものが上の本だったので、読後感を騙ってみたのだけれど、メディアはとても第三者の審級にはなれない。敢えて言えば、音のしない野次でしかない。ということで、久々に川柳を。


復興の まちに言霊す かんなおと



グゥーーーー

厳正か現勢化

  • 2011/05/22(日) 13:18:48

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うーん、例の東電の人事が発表された。次期社長は西沢常務に内定した。今の社長は引責辞任して、無報酬の顧問になる。6/28の株主総会で決せられる。まぁ、だけど、ガタガタの東電の社長など誰もやりたがらないはな、渋々、前々からの予定であった西沢氏に内定したということらしい。清水氏も心身ともにボロボロということで、それこそ臨界に達しているらしい、が、それでも顧問は報酬無いのにやるのか。まぁ、それこそ出世街道まっしぐら、だったはずのところに「想定外」の地震が来て、津波が来て、原発が事故って、それこそ人生においても「想定外」のことだっただろう。まぁ、だけど、社長は責任取るために存在するわけで、未曾有の事故とは言え、致し方ないことである。まぁ、取り敢えず、サイコ案も取りあって欲しいほどに人事は行われることとなった。まぁ、あり得もしない中電、東電合併案ではあるが、全く可能性が無い、ということでもないわけで、誰ぞ、東電あたりに秋波送らないかなぁ。ということで、あり得もしないことが起こる、その偶有性としてを考えるのに参照すべき書を紹介しておこう。


現勢化   ベルナール・スティグレール


この人は、異例中の異例とでも言えるのではないだろうか。まぁ、サイコは、獄中に繋ぎとめられた経験はないし、高校時代も多少哲学は勉強しているので、全く20代になるまで哲学と縁がなかったわけでもないし、むしろ、いわゆるニューアカ全盛期の大学当時は、カッコつけて構造主義のフーコーとかバタイユとかも多少読んでたりするわけである。社会人になってからも、ぼちぼちドゥルーズ(&ガタリ)なんかを読んでたりしていて、今の人生まで多少なりというか細々哲学書には触れていたわけである。まぁ、だけど、デリダあたりを読みだすのがここ10年くらいなので、スティグレールのお師匠には申し訳ないのだが。それこそ変なカミングアウトをすると、サイコがまだ10代の終わりごろに書いていた小説と呼べるような代物でもないものの、まぁ方法論、手法自体はデリダに近いのか(絵葉書を参照方)、という感じなのだが、もうちょっと早いうちからデリダをしっかり読んでおくべきだったか。まぁ、この「現勢化」を読んだだけでは、デリダの弟子として、その影響がどのくらいなのか計れないのだけれど、デリダの難解さというかアポリアは無いように思う。まぁ、それで現在的な情況からか、「公共性への欲望」という命題が浮上してくるのか。この「われわれ」へと統合する意思、欲望こそが哲学なのだ。ここでちょっとだけ危惧するのは、この「われわれ」への指向はややもすると民族主義的になったり原理主義的にならないだろうか、というところである。全ての人が哲学者となる素地を有している。それが可能態であり、そこから現勢化した者がハイデッカーのような哲学者となるのである。あるいは、その無念を超えて、デリダ、スティグレールのような哲学者となる、ということである。さて、ここで外在的な記憶術を意味するヒュポムネーシスを駆使して、アナムネーシス(想起)してみよう。リンクという術は、こうしたブログの場合、あらゆる痕跡を再度関連付けて立ち表すのに「便利」ということで利用する。上のリンクは2年ほど前にリオタールについて騙ったものだが、忘却というものはついて回るものだ。リオタールが非人間的なものについて語っていた「モナド化された言語活動の現実性に依拠」する社会、を後期ルーマンの社会システム論にも見ていたサイコである。後期ルーマンもそれこそポストヒューマンと言っているわけで、リオタールとどこか通底するのではなかろうか。さて、その対極にあるハーバーマスの公共性論に近いのでは、と思われるのがスティグレールのシテ(共同体)に公共性の欲望を抱いて市民(シトワイヤン)となる思想である。対極として浮かんでくるのは、非人間的でもポストヒューマンでもなく、人間としての市民であることからもそうなのだが、第三次過去把持というフッサールの第一次、第二次過去把持という概念を踏まえた概念からも伺える。ハーバーマスもフッサールを踏襲して結果ぽろくそにやり込められてしまってはいるのだが、スティグレールはその轍を踏まえて今後も「行動する哲学者」としてあらゆる実践を見せて欲しい。



グゥーーーー

ナニイッテンダー

  • 2011/05/05(木) 09:15:14

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今日はザ・タイマーズラヴ・ミー・テンダーをバックミュージックに、東電改革案のサイコ試論を騙ってみようか。まぁ、なんで「ラヴ〜」なのかというと、FMラジオ「Inter FM」で放送自粛騒動があったのと、5/2は忌野清志郎の命日でもあるからなのだ。ということでなんなのだけれど、サイコはバリバリの原発反対論者ではない。電力の安定供給という点を考えると、取り敢えず仕方ないか、程度に原発は認めている。しかしながら、原発より安全でクリーンで安定的に電力を供給できるものがあれば、そちらに替えては欲しいと思っている。それが可能なのが新火力発電というものらしい。それこそ東日本大震災後の福島第一原発の事故で、原発アレルギーになっているわけなのだから、この新火力発電にすぐさま着手すべきだろう。これも踏まえて、では東電はどうすればいいのか。単純である。上場廃止にするのである。当然企業ごと抹消するという意味でである。が、そうなると、今回の事故の賠償をどうするのか、ということになってしまうので、東電はどこぞの電力会社に身売りする、ということだ。まぁ、体力的に受け皿になり得るのは中部電力ぐらいしかないだろうから、中電は渋々東電のボロ株をTOBするしかない。まぁ、パナソニック方式で取り敢えず子会社化するというのも手かもしれないが、例の電力周波数が西と東で違うという情況を解消するためにも、吸収合併するほうがいいと思う。そして、ここがほんとにミソである。なんと、吸収合併して社名も中央電力にするのであるが、取り敢えず今の取締役のままだとしたら誰が新社長になるのか。答えは、現東電社長の清水正孝氏なのだ。会社法によると、吸収合併した場合は、吸収された会社の社長が新会社の社長に就任することになっている。うーん、だからまぁ、それこそサイコ案で行くというときは、東電の現社長を更迭しておいて、ということになるだろうし、もうすぐ株主総会もあるから、再任はまず世間的にありえないとも思うので、後2月もすれば、東電に新社長が就任するとは思うが。後、ついでに災害復興の収斂化ということで、この際道州制を導入して東北州を災害復興特区にして、初州知事に自民党の石破さんあたりを就けたらどうだろう。そして、災害復興特別州債を発行して、各道州と国に引き受けさせ、国債並の格付けで持って市場流通させるというのはどうだろうか。まぁ、可能性はほとんどないだろうが復興財源の確保には一番手っ取り早いと思うのだが。まぁ、兎も角、いろいろ知恵を出し合って、早期の復興に向けて進むためにも、一読に値するかもしれない本を紹介しておこう。


論理思考の鍛え方  小林公夫

 お受験から国家公務員?種試験まで、多数ある試験が、何のために(目的)どういう意図により、すなわち求める人材(幼稚園児からキャリア官僚まで!)を確保、初期選別により育成され開花する才能の発掘という意味合いをも包含しているということを、その人間の成長的段階に対応させて論証する。筆者は、法学(刑法、医療法)の専門家で、究極的には、法律家における「実質的利益衡量」能力を見極めたり引き出したりすることを研究しているようであるが、係わったと思われる各受験問題は、法学に限らず多岐に渡っている。そうした中で、有名私立中学受験生が、その論理思考でもって、東大受験の試験問題に正答することができたりする理屈として、当然、中学入試問題と東大入試問題には、相応の差異はあるのだが、そこに通底する純粋に論理的思考を試す基本的な思考体系が存在しているためである。そういうわけで、入試にしろ採用試験にしろ、そこで問われているのは、当然正解ではあるのだが、その解を発した理屈としての発信者が求める人材、適応者をこそ見つけるツールとしての機能ということなのである。面接試験は当然全面的にその人物を見極めるために行われるわけであるが、筆記試験においても、その人物の発想、思考を見るために機能付けされているということである。
まぁ、とは言いつつ、それはかなり高度の次元で競わされる者たちにとっての発想力であるだろう。ただ、いわゆる下流社会にあっても、「発想」という点においては、今後、いろいろな会社に面接に行くときには留意しておいて損はないかと感じた次第である。

まぁ、前にも書いたように入院中に上の本を読んだのだが、サバイバルという意味でも、思考は常に鍛えておくに越したことは無いだろうということである。


グゥーーーー